佐倉 哲さま ご返事をいただきまして、ありがとうございます。 『不生不滅』に関するご意見、重ねてお礼申し上げます。

『不生不滅』の話に入る前に、少しお話を致します。 仏教を文献学的アプローチで見ることも重要ですが、他の見方があります。 以下に示します。

仏教を

  「仏(釈迦牟尼仏)の教え」と見る。
  今一つは、『仏=(悟・法・空・無・解脱)』と『教え』と別物と見る。

ことです。   (※ご注意 『仏=(悟・法・空・無・解脱)』は釈迦牟尼仏が発明したもので もなく、作り出したものでのありません。釈迦牟尼仏にかかわらずです。)

『人は死にません』は後者の立場から申し上げました。

薬に例えます。 『仏=(悟・法・空・無・解脱)』は【薬】です。 そして『教え』は薬の【効能書き】です。 【効能書き】をいくら読んで、勉強して、暗記して、人に上手に説明が出来たとして も、【薬】を飲まなくては病気が治らないという立場です。 『仏=(悟・法・空・無・解脱)』を実証する事と、その【説明書き】を学ぶことは 別物だ、ということです。     (※ご注意 仏=(悟・法・空・無・解脱)の実証とは『釈迦牟尼仏が星を 見て、星と一つになった事実を実証する』ことです。) 【説明書き】の勉強だけでは『仏=(悟・法・空・無・解脱)』の実証はないという ことです。

「不立文字・教外別伝」です。 『禅の修行』は【薬】を飲むことで、【効能書き】の勉強ではありません。    (※ご注意 この書き込みは効能書きの域です。)

次に言葉の問題です。 言葉は「事実」を言い現すことはできません。 『諸行無常』です。 しかし、言葉は『常ならざる』を内包することが出来ません。  言葉に惑わされますと、「事実」から離れてしまいます。 逆に言うならば、「事実」をどのように説明したら良いのか、はたして「事実」は説 明出来るのかという問題に直面します。 同じく、仏典も「佛」を言い現すことができるのか、という問題は持っています。

不生不滅に入ります。  「人は死にません」はどのような佛法(仏典)にあるのでしょうか、のご質問です が、 どこにあるか知りません。

 「死」という「言葉」に佐倉さまは「意味」をお持ちのようです。  しかし、『言葉は「事実」を言い現せない。』からは、何らの「意味」はありませ ん。  人が認識出来ることは、『無常』です。  「常なる」は認識ができません。  森羅万象は一瞬も止まらない『常ならざる』です。

 また人が「判断・理解」するには前提があります。  「分ける(区別する)」です。  「分ける(区別する)」ことをしない限り、人は「判断・理解」は出来ません。  問題は、この「分ける(区別する)」行為です。  ここに、人それぞれの「意」がこもってしまうからです。

 佐倉さまがご指摘の通り

  【ものは縁起(依存関係)によって生滅するのであって、実体(自性)として生滅しているのではない】

 です。

  【縁起(依存関係)によって生滅するもの】をどのような基準で「分ける(区別する)」ことが出来るのでしょうか。  仮に出来るのでしたら、如何なる【縁起(依存関係)】に依るのでしょうか。

   あえて言うならば、それは人それぞれの「恣意的な現れ」からです。 「恣意的な現れ」ですから、全く「意味」をなしません。

 【縁起(依存関係)によって生滅するもの】以外の表現できない、『人の活動』は「分ける(区別する)」ことは出来ないのです。  ある「時期・場所・状態(時所位)」を持って「死」と言い現すことが出来るのならば、如何なる【縁起(依存関係)】に依るのでしょうか。  たま、その【縁起(依存関係)】を選択した基準は、如何なる【縁起(依存関係)】に依るか、と無限遡及してしまいます。

 唯一、言えることは『常ならざる』です。  「死」は(医学的な意味でかまいません)は今の『私たち活動体』の『常ならざる』姿です。

朝、『おはようございます』と大きな声で挨拶する『常ならざる』姿と何ら変わらないのです。 夜、『お休みなさい』と意って床につく『常ならざる』姿と同じです。 すなわち『他【縁起(依存関係)】に随って去る』だけです。

「生」「死」を自分自身から離して「分けた(区別した)もの」として認識することはできません。

  故に『人は死にません。』

 『死後の世界』観 等の「概念」は仏法の根本からすれば、「必要」もなければ、「意味」すらありません。

 【 劫初より造りいとなむ殿堂も、煮え湯熱し、水は冷たし 】です。仏法に『不可思議無し』です。

不生不滅ですが

 【ものは縁起(依存関係)によって生滅する】です。

 「生滅」の認識が出来ない世界です。

 すなわち 『不生』と発した瞬間、『不滅』すら入る余地のない世界です。

 『不滅』と発した瞬間、『不生』すら入る余地のない世界です。

佐倉さま 質問させて下さい。  「事実」はどのようにすれば、説明出来るのでしょうか。 お答え下さい。

森 原


森原『言葉は「事実」を言い現せない。』からは、何らの「意味」はありません。 ・・・佐倉さま 質問させて下さい。「事実」はどのようにすれば、説明出来るのでしょうか。お答え下さい。


佐倉:・・・・・。

(独り言:もし言葉に意味がないとしたら、わたしが言葉で答えても、その答えは無意味であるから、森原氏には理解できず、答えても無駄であろう。それにしても、かれはなぜ他人にメールなど送るのであろうか。まさか意味のない言葉を他人が理解できるなどと期待しておられるわけでもあるまい。言葉が、本来そこに無い区別を生んで誤解を生むとしたら、かれもわたしも無言で居るのがいちばんよいであろう。それに、本来ものには区別がなく、したがって、かれとわたしの間に区別がないのだとしたら、わたしが何も語らなくても、かれにはすでにすべてが理解できているはずである。)