「仏教における平等論の特質」ってなんですか??
「仏教における平等論の特質」というカッコ内の表現はどの文脈から引用されているのでしょうか。
それとも、これは引用についての質問ではなく、平等について仏教は何を語っているかという一般的な質問をされておられるだけなのでしょうか。
もし、後者でしたら、わたしは平等ということに特別に注意したことがないので、あまり語るべきことはないのですが、ただ一つだけ、わたしの注意を引いたものがあります。それは次の言葉です。
ひとが何か或るものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりであると、<真理に達した人々>は語る。それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと・または戒律や道徳にこだわってはならない。これは、ひじょうに注目すべき言葉だと思います。なぜなら、通常、わたしたち現代人の平等主義というものは、「自分を他人より勝れているとか劣っているとか考えてはいけません。みんな等しいのです。」というようなことを主張していると思われるからです。ところが、ブッダは「等しい」と考えてもいけない、というのです。智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人よりも「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。
(スッタニパータ 798〜799、中村訳)
ブッダは、他人より「劣っている」とか「勝れている」とかいう考えも、「みんな等しい」という考えも、同じ穴のムジナであって、その根は一つと考えているようです。これなどは「仏教における平等論の〔ひとつの〕特質」と言えるかもしれませんね。