はじめまして、突然のメール失礼致します。 実は数年前より佐倉さんのHPは存じていて、幾度と拝見させて頂いておるもので す。
竜樹の説いた「空」を、論理的に明快に説かれている佐倉さんの文章は感服して おり、私も大変勉強になり、このような素晴らしいHPを作られていることは全く もって尊敬に値しますし、と同時に感謝の念に絶えません。
実は、私自身は臨済宗に属する僧侶の為、「自性」の有無という問題、或いは 「自性」とは何か?という問題は、今後も自分自身の課題として考えていかなけ ればならない、と思っています。
現在のところ私としましては、おぼろげに自性とはフラッシュメモリーである。 という風に感じているのですが、竜樹によればメモリ内の情報はさて置き、情報 を蓄積する、いわゆるアーラヤ識的存在も常住しないわけですから、その辺の落 しどころに苦慮しています。
ただ、今日ではDNA自体がアーラヤ識であって、そこに書かれた塩基配列は薫習さ れ、習気として書き換えられてきたものであって、本来的な性質は無い、と言う 発想は面白いのではないかと感じています。
ところで、実は本日は教えを請いにメールさせて頂いております。 それは難行道と易行道についてなんです。 難行道と易行道を分けたのは、竜樹が始めてであると仄聞しています。 勿論自分で読んで探すべきなのでしょうが、少し急いでこのことについて勉強し 無ければならない事態になり、厚かましいお願いですが、竜樹の著書のどの個所 にこれについての言及があるのか、ご存知なれば教えて欲しいのです。
そしてもし、竜樹がどういうスタンスで難行道と易行道という発想をしたのか、 についての佐倉さんご自身のご意見があれば、それもお教え願いたいと存じます。
誠に勝手なお願いで申し訳ありませんが、何卒宜しくお願い致します。 末筆ながら、貴殿のますますのご活躍を祈念申し上げます。
///////////////////////////// 臨済宗 妙心寺派 実相寺 副住職 山本 文匡九拝 yanto@niji.or.jp http://www.niji.or.jp/home/yanto/ /////////////////////////////
難行道と易行道を分けたのは、竜樹が始めてであると仄聞しています。勿論自分で読んで探すべきなのでしょうが、少し急いでこのことについて勉強し無ければならない事態になり、厚かましいお願いですが、竜樹の著書のどの個所にこれについての言及があるのか、ご存知なれば教えて欲しいのです。ナーガールジュナの著作と伝えられている『十住毘婆沙論』にありました。
仏法には無量の門がある。世間の道にも、行きがたい道もあるが、また行きやすい道もある。陸の道を歩いていくのは苦しいが、水路で舟に乗っていくのは楽しいようなものである。菩薩の道もまたそのようなものである。あるいは勤め実行して精励努力する人々もいる。あるいは信仰という手だてによって易しい修業をして、すみやかに不退転の境地に達する人々もいる。ただ、ナーガールジュナ(竜樹、龍樹)の主著である『中論』(Madhyamikakarika)や、それと深く関りのある、『空七十論』(Sunyatasaptati)、『六十頌如理論』(Yukutisastika)、『廻諍論』(Vigrahavyavartani)、『広破論』(Vaidalyaprakarana) などの、彼の主要著書だけからを見れば、「難行道と易行道を分け」る考えはまったくありません。(中村訳、『十住毘婆沙論』、第九章「易行品」、『人類の知的遺産13 ナーガールジュナ』、講談社、338頁より)
ナーガールジュナはいわゆる「八宗の祖」などと言われていることでもわかるように、後代の仏教徒は誰も彼も、「わたしたちの教えをさかのぼれば、あの有名な、ナーガールジュナ様にさかのぼることが出きます、つまり、わたしたちの教えは本物でございます」と言うのです。ナーガールジュナという人物の権威を借りて、自分たちの宗派の教えを正当化しようというわけです。そのためでしょうか、「ナーガールジュナが書いた」ということにされた偽書(?)がいっぱいつくられました。ナーガールジュナ複数説です。(上述の中村著34頁、Lindner, NAGARJUNIANA, pp.9-18. 参照)
そこで、もし「難行道と易行道を分けたのは、竜樹が始めてである」というようなことに、文献的な根拠がいくらかでもあるとするならば、おそらく、その偽書の中の一つだろうとわたしは想像しています。つまり、ナーガールジュナの著作である伝えられている『十住毘婆沙論』(すくなくとも、その第九章)はナーガージュルナのものではない、というのがわたしの勝手な想像です。
本書[十住毘婆沙論]の著者がはたして『中論』の著者であるナーガールジュナ・・・と同一人物であるかどうか疑問とされていて、現在では別人であるという説が有力である。わたしは、ナーガールジュナの主要著作に見られるさまざまな思想内容と阿弥陀信仰(易行道)の思想との間には、何の論理的つながりも見つけることができません。(中村元、同書、337頁)
難行道(自分で悟る)と易行道(菩薩に助けてもらう)を分ける考えが生まれるためには、大乗仏典(という宗教文学作品)に登場する「菩薩」と呼ばれる何万もの架空の登場人物たちが、いつのまにか、実在していると信じられたり、それが信仰の対象になったりする時代になっていなければならないはずです。
しかし、もともと、西暦1世紀前後から、あたらしい仏典を創作し、それまでは、単に「修行者」というほどの意味しかなかった「菩薩」という言葉を駆使して、新しい仏教の理想者像を描いたのは、既存の仏教に反逆した人々(いわゆる「大乗仏教徒」)なのですが、少なくともナーガールジュナの主要著書からは、この、スーパースターとしての「菩薩」の考え方、「小乗に対するよりすぐれた教えとしての大乗」といった考え方は、まったく見当たりません。
後代の(大乗)仏教徒たちが、勝手にナーガールジュナを「大乗仏教の祖」に祭り上げたのであって、ナーガールジュナ自身の主要著作には、たとえば、法華経や般若経や浄土経などに見えるような、「大乗対小乗」の図式の考えはありません。「大乗対小乗」の図式がないのですから、スーパースターとしての「菩薩」の考えもありません。ナーガールジュナはつねに、ブッダだけを賛美し、いかにブッダの教えがすばらしいかを述べるだけです。
したがって、「難行道と易行道を分けたのは、竜樹が始めてである」というのは、歴史的にいえば、だれかのついた嘘である、あるいは同名の別の人物の思想である、というのがわたしの想像するところです。
なお、『十住毘婆沙論』をナーガールジュナの著作であるとする意見については、Chr. Lindner NAGARJUNIANA (Denmark: Narayana Press, 1982, p14) 、中村元、『人類の知的遺産13 ナーガールジュナ』(講談社、261〜262頁)、平川彰「『十住毘婆沙論』における在家と出家」(壬生台舜編『龍樹教学』、大蔵出版、142頁)など参照してください。