佐倉哲様

はじめてお便りします。「中村元」と「空」で検索したらあなた様のHPにたどり着きました。

私はこの一年、空について考えてきました。いろいろな思索の結論として、空とは時間である、とくに人間にとってはΔt=今、この一瞬、が空であるという結論にたどりつきました。

そして、道元の「有時」は、存在と時間の意味だそうですが、道元訳の色と空のことだと思っています。

この考えを友人たちに話すと、得丸さんがそう思うのは勝手だが、私は中村元の意見を尊重したいという反応が返ってきて、なんだか変な気分で、います。

自分の発見?を認めてもらいたいという気持ちなのかもしれませんが、どうしてそのようにお互いに勝手に思っていましょうというのか、また、空についてどこかで身につけた概念に束縛されてしまうのか、そのところが不思議なのです。

佐倉さんは、ご自分で空の意味を探ろうとしておられますね。佐倉さんのご意見をいただきたくてメールしました。

得丸久文

もしよろしければこちらを読んで見てください。

http://www.asahi-net.or.jp/‾VB7Y-TD/kak2/1212311.htm


(注:文中の「Δt」は、いただいた原文では「