佐倉さんのホームページは面白いと思います。佐倉さんとは基本的な考え方のところで当方に受け入れがたいところもあるようですが、非常な親近感を覚えます。イエスが博愛主義だったかどうかは、佐倉さんとは違って、当方には最近疑念が出てきています。

 竜樹論は面白いと思いました。私自身、宗教はアマチュアです。竜樹は直接読んだことがありません。先生の竜樹論は、竜樹という名前を外して考えると、私自身が親鸞から教わってきた大乗仏教観と異和感がありません。竜樹論として紹介しているあの考えは、親鸞仏教に照らしても、大乗仏教の基本的な重要な考え方に非常に近いと思います。ただ、それが竜樹に発するものか、その他に発する考えかは、素人の当方には分かりません。  輪廻と空との関係も、少なくとも親鸞の考えで御説の通りだろうと思います。輪廻も空も同じことを言ってるんです。同じことを、浄土教は輪廻で説明し、禅宗などは空と言うんでしょう。

 浄土通信は、もうしばらくキリスト教論が続きます。ところでイエス生け贄論というのがあるそうですね。はじめて知りました。女房に聞いたら確かにキリスト教の重要な考えの中にそういうのがあるようです。ここからはこちらにもひとつ面白い考えが出てきそうです。  浄土通信でキリスト教論ばかりしていると、親鸞論がおろそかになるので迷います。気が向いたらそれも書きたいと思います。

浄土通信ありがとうございます。

(1)「イエスが博愛主義だったかどうか・・・」

博愛主義というより、「律法は人のためにあるのであって、人が律法のためにあるのではない」という形で、当時の宗教指導者批判をしたのがイエスであった、というのがわたしの史的イエスに関する想定です。

(2)「同じことを、浄土教は輪廻で説明し・・・」

わたしの親鸞理解は『歎異抄』だけですのでとても貧弱です。それで、親鸞の輪廻解釈が空と同じものである、というご意見にはとても興味があります。そのへんのところをもうすこし教えていただけたらと思います。やはり、『教行信証』などにあるのでしょうか。