桑原です。
かなり努力をしてるんですけど訳がわからない文章になるのは、自分で訳がわかってないんです。自分の中の、他人には伝えにくい漠然とした考えを明確にしようとする努力はしてるんですけど、なかなか思うようにいかない。
過大な労力と言われてドキッとしました。ごめんなさい。でも書いた事は自分にとっては無茶苦茶の事ではないので、無茶苦茶の事に対して過大な労力を払ったとは思わないで下さい。「世界中で自分より大切なものはないと知る者は、他人を害する事があってはならない」と言う仏陀の言葉を聞いて思うのは、自分の彼女が他の人を好きになっても、「彼女は彼女自身だ」と知ること、「彼女のいちばん望んでいる事」だと知ること、「彼女は自分ではない」と知ること、やきもちで彼女を害する事があってはならない、という事を思います。彼女がそのように自由である事は同時に自分自身の自由でもあるので、そんな自由な自分を大切にせよ、と。自由、自由と言いますけど仏教の言葉では解脱と言うのかもしれません。それと仏陀は「世界中で自分より大切なものはないと知る者」ですから「他人を害する事があってはならない」と自分を戒めるわけはないので「他人を害する事がない」ではないでしょう か。
(宇宙神ブラーフマンと人間の魂アートマンの合一)を説くバラモン教の哲学ウパニシャッドの神秘主義の思想というのは面白いと思いました。佐倉さんがいくつか僕の「言葉じり」を選んで指摘した事は正しくって、これが僕が言いたかった事だと思い当たりました。映画「2001年宇宙の旅」で一人の飛行士が宇宙船の外に出て宇宙船の修理をしているとき命綱が切れて一人宇宙へ飛んでいってしまいます。こんな孤独はありません。地獄だと思いました。でもある人は神に抱かれたと言います。これは極楽です。これは特に宇宙に飛ばなくともこの地球上であります。一体にどんな関係が人の孤独を慰めるのでしょう。これがあればいいと言う関係を僕は友達や女の子や親に求められないのでやっぱり自分の中にそれを探します。見つからなければ孤独と言うものです。どんな関係もないというのは生きられないので、仏陀はどんな関係を見つけたかが気になります。
われというものはない。われがなくわがものもないのだから、これはもう「無い」と言うものとの関係だと思います。無いと言う事が仏陀にとってはすがすがしい。これはよく思い当たります。自分の中にあるものが苦を生んでます。仏陀はそれが無くなった。仏陀は飛んでいった宇宙飛行士のように「無」に抱かれた。つまり「無」を自分の内に取り込んだのだと思います。そして「無」の中に佇んだ仏陀が孤独ではなかったのは「無」と共にあったからだと思います。「無」が外にあったり内にあったりしてますけど、苦しいときに苦しさに包まれていると言うのと同じです。孤独になるのは「無」を他人行儀に見るからで仏陀の如くそれと一体となれば極楽と言うものだと思うのです。でも「無」は無いと言う事なので生きておしゃべりする仏陀は無いと言う事を超える事が出来なかった。「死」が「無」なので「無」をよしとする仏陀は「死」に思いを馳せていた。
また、わがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、
何によってか、わがものがあろうか。
「死」は仏陀にとって悲しい出来事ではなくて夢とか希望とか言うようなものでそれがあるから今メ一杯元気でいられる原動力だったのではないかと思います。生きてる間だけの事だよって言って世のしがらみやつまらない欲など取るに足らないと。それは仏陀自ら考えたのではなくてそこにその考えがあったのだと思うのです。仏陀は自分で考えた事は当てにならないと知っていたと思います。そこにあった考えが仏陀の喋った事になっているのだと。その考えのあるところに仏陀は到達した。その考えは素晴らしくって人に感動を与えます。仏陀自身も感動していたと思います。それは快楽ですから。そこに行きたかった。そうして完全に「無」と共にあることを望んだ、死んで無と共にあることを望んだ。無が神と呼ばれるならばその合一を望んだ。無が神でない事は「信仰を捨てよ」といったことであきらかですけど。勿論死んでもなお生き続けるなんて思ってはいません。ただ無との合一は仏陀のかけがえのない夢だったのでやり遂げたという気持ちはあったと思います。これが仏陀の死だったと思います。仏陀の死は死んでなくなるというよりも、無との出会い、合一だったので「不死を得る為の門は開かれた」のではなかったのでしょうか。
今度はやっぱり読みにくいですか。苦労かけます。すいません。
詳しい説明で、やっとわかったようにおもいます。ありがとうございます。しかし・・・
(1)個人的信念とブッダの思想との区別
桑原さんがここで述べられているのは、すべて桑原さんご自身の「死」に関する個人的信念であり、ブッダの思想や悟りとはまったく関係のないものです。もし、ここで述べられていることが、ご自分の思想や悟りではなく、ブッダの思想や悟りであるという主張であるならば、その歴史的根拠を示す必要があると思います。歴史は個人の私有財産ではなく、人類の共通財産だからです。また、もし、ここで主張されているものがブッダの思想や悟りではなく、ご自分の思想や悟りであるというなら、ブッダにそれを押し付けるべきではないだろうと思います。ブッダの言葉を、その言葉が使用されている文脈から切り離して、ご自分の勝手な主張を押し付けるようなことは、もっとも避けるべきことだと思います。
桑原さんのお考えは、もちろん、もしかしたら真理なのかもしれませんが、それがブッダの思想であったかないかはまったく別の問題 --- 歴史的問題です。なにがブッダの思想であったかという歴史的問題について対話をするためには、なにがブッダの思想であったのかを決めるための客観的な共通の基準としての歴史的文献的根拠を必要とします。その根拠を語り合わず、ただ勝手に思いついたことを述べていたのでは、ブッダの思想に関する問いには永遠に何の結論も出てきません。
桑原さんご自身のお考えを述べられるならともかく、そうではなく、ブッダの思想について主張されるなら、それがどの経典のどの部分にでているのか、根拠となる文献を明記してください。勝手な思いつきを述べておいて、「仏陀は必ずそれについて喋ってるはずです・・・」とか「何処かで言ってませんか・・・」などという無責任なやりかたにはとてもついていけません。
(2)「無は無ではない」?
戦争時は戦争を鼓舞するための軍歌が流行りますが、だれも好まぬ戦争に人々を駆り出すためには、人々をごまかすためのいろいろな魔術的な言葉が創作されます。「戦争は平和のためだ」というのがその典型です。
起て一系の大君を「平和のためだ」という歌に鼓舞されてわたしたちの先輩は人殺しに出かけました。桑原さんの「死」や「無」に関する言明にも、おなじような事態が見られます。
光と永久に戴きて
臣民われら皆共に
御稜威に副わん大使命
往け八紘を宇となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る
(「愛国行進曲」二番、昭和13年)永久に栄える日本の
国のしるしの日の丸が
光りそそげば果てもない
地球の上に朝がくる
平和かがやく朝がくる
(「日の丸行進曲」五番、昭和13年)
[仏陀は]死んで無と共にあることを望んだ。無が神と呼ばれるならばその合一を望んだ・・・「無とは無ではない」あるいは「死とは死ではない」というのはあきらかに矛盾であり誤謬でありウソですから、限りなくあいまいな別の表現(「神」「夢」「出会い」「合一」)を駆使してその矛盾を隠ぺいし、自分が聞きたいこと(無とは無ではないこと、死とは死でないこと)を自分に言い聞かせておられるのでしょう。「戦争とは人殺しだ」と言ってしまえば、人々を鼓舞することが出来ないので、「戦争は平和のためだ」と唄わせた軍歌のようなものです。
ただ無との合一は仏陀のかけがえのない夢だった・・・
仏陀の死は死んでなくなるというよりも、無との出会い、合一だった・・・
たしかに、自分のことだけを考えていれば、「死とは自己が無くなること」としか見えず、その結果、「死」や「無」が怖くなり、たまらず、「死」や「無」に関する私用の軍歌を歌って自己を鼓舞せずにおられなくなるのかもしれません。(「ある仏教徒の『死後の世界観』」なども参照してください。)
しかし、ブッダは「アートマン(永遠に生きる魂)思想」や「梵我一致(宇宙神と魂の合一)の思想」を批判して、次のように述べました。
「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」独断に過ぎないもの、「来たりて見よ」と実証できないもの、「真実として捉えられるものではない」もの、そのようなものに救済の根拠を求めなかったことがブッダの思想のもっとも顕著な特徴です。(「ブッダの沈黙」を参照してください。)(マッジマニカーヤ 中部経典 22)